


えりも町レポート 「佛國山 法光寺」
えりも町地域協力隊の宗田光一さま作成の動画です。
無縁大地蔵尊(三界万霊塔)

建立:昭和11年 高さ:6m
各地の寺院や墓地の一隅に建立されている。「三界」は仏教用語で欲界・色界・無色界とか、心界・衆生界・法界とかの諸説があるが、亡くなった人のあらゆる霊(万霊)が、この三界万霊塔の建立によって回向されるものと考えられている。法光寺のものは昭和11年天皇来道記念に建てられた。町内の各墓地にも建立されている。
各地の寺院や墓地の一隅に建立されている。「三界」は仏教用語で欲界・色界・無色界とか、心界・衆生界・法界とかの諸説があるが、亡くなった人のあらゆる霊(万霊)が、この三界万霊塔の建立によって回向されるものと考えられている。法光寺のものは昭和11年天皇来道記念に建てられた。町内の各墓地にも建立されている。
子授け石仏

建立:昭和28年 高さ85cm
碑文 (表)遭難霊 第三高砂丸 (裏)昭和廿八年八月建之
子供にめぐまれない漁師の夢枕に、昭和17年遭難沈没した第三高砂丸の船頭があらわれ、「われわれは底引き漁業の操業を終わり大漁をして室蘭港へ帰途についたが、途中大時化にあい白老沖で沈没し全員遭難したものです。船員全員の供養をしてくだされば子供を授けよう」と語った。漁師は早速石仏一体に第三高砂丸と刻んで供養したところ、霊験まさにあらたかにしてその漁師夫婦の間に玉のような男の子が授かったという。
碑文 (表)遭難霊 第三高砂丸 (裏)昭和廿八年八月建之
子供にめぐまれない漁師の夢枕に、昭和17年遭難沈没した第三高砂丸の船頭があらわれ、「われわれは底引き漁業の操業を終わり大漁をして室蘭港へ帰途についたが、途中大時化にあい白老沖で沈没し全員遭難したものです。船員全員の供養をしてくだされば子供を授けよう」と語った。漁師は早速石仏一体に第三高砂丸と刻んで供養したところ、霊験まさにあらたかにしてその漁師夫婦の間に玉のような男の子が授かったという。
陸軍歩兵曹長勲七等功七級 梁瀬八十次 墓

建立:明治37年以降 高さ 200cm
日露戦争、満州事変の戦没者慰霊碑
日露戦争、満州事変の戦没者慰霊碑
鮫供養塔

建立:大正10年 高さ 120cm
サメ漁は、明治後半から大正時代にかけて盛んであり、フカひれは清国に輸出され、塩蔵肉は函館方面に販売されていた。鮫の供養と豊漁を祈願したのであろう。
サメ漁は、明治後半から大正時代にかけて盛んであり、フカひれは清国に輸出され、塩蔵肉は函館方面に販売されていた。鮫の供養と豊漁を祈願したのであろう。
不動明王 【えりも町指定文化財】

建立:文化10年(1813)高さ84cm
碑文 (裏)文化十年癸酉三月 施主 高田屋
幌泉場所は文化9年の幕府入札によって文化10年から嶋屋佐次兵衛が請け負うことになっていたが、実際は高田屋が経営していたと考えられる。文化9年高田屋嘉兵衛は国後島で捕らえられカムチャッカへ移送され、文化10年5月国後へ戻り松前に着いたのは7月17日である。この石仏が奉納された時期、淡路島では、嘉兵衛と水主たちの無事帰国を祈願する奉納などがおこなわれており、この不動明王も帰国祈願の意味が込められていたのかもしれない。
碑文 (裏)文化十年癸酉三月 施主 高田屋
幌泉場所は文化9年の幕府入札によって文化10年から嶋屋佐次兵衛が請け負うことになっていたが、実際は高田屋が経営していたと考えられる。文化9年高田屋嘉兵衛は国後島で捕らえられカムチャッカへ移送され、文化10年5月国後へ戻り松前に着いたのは7月17日である。この石仏が奉納された時期、淡路島では、嘉兵衛と水主たちの無事帰国を祈願する奉納などがおこなわれており、この不動明王も帰国祈願の意味が込められていたのかもしれない。
無始無終維徳維彰 故林重吉君ノ碑

建立:明治37年(1904)
高さ 187cm
刻字:(表)無始無終維徳維彰 故林重吉君ノ碑 幌泉回漕組(裏)明治三十七年三月建之
幌泉回漕組が功績を記念し、金100円を投じ祈念碑を建立した。
高さ 187cm
刻字:(表)無始無終維徳維彰 故林重吉君ノ碑 幌泉回漕組(裏)明治三十七年三月建之
幌泉回漕組が功績を記念し、金100円を投じ祈念碑を建立した。
三十三観音(観音山)
所在地:観音山(官の山) 建立:明治21年(1888)
三十三観音は、観音菩薩が衆生の願いに対応して三十三身に姿を変えて法を説かれるということから、三十三観音巡礼の風習が生まれ、西国三十三ヶ所が設定されました。
明治21年官の山(北海道庁所管の山)に三十三体の観音像を祀り、以来、観音山と呼ばれています。
三十三番目は法光寺境内に安置されています。各台座には、国名、番号、寺名が刻まれており、一部寺名以外に山号が使われたり、省略されたり、当字が使われたりしていますが、各寺の所在地名などからきた建立当時の通称であると思われます。
正式な名称は、一番青岸渡寺、四番槇尾寺、五番葛井寺、十一番上醍醐寺、十五番観音寺、十七番六波羅蜜寺、廿六番一乗寺、廿七番円教寺、丗番宝厳寺、丗二番観音正寺、丗三番華厳寺、です。丗一番は昭和57年に新しく建立されたものです。

紀伊國 西国一番 那智

紀伊國 弐番 紀三井寺

紀伊國 三番 粉河寺

泉州 四番 巻尾寺

河内 五番 藤井寺

大和國 六番 壺坂寺

大和國 七番 岡寺

大和國 八番 長谷寺

奈良 九番 南円堂

山城 十番 三室戸寺

山城 十一番 醍醐寺

近江 十二番 岩間寺

近江 十三番 石山寺

大津 十四番 三井寺

京 十五番 今□寺

京 十六番 清水寺

京 十七番 六波羅寺

京 十八番 六角堂

京 十九番 革 堂

山城 廿番 善峰寺

丹波國 廿一番 穴太寺

津ノ國 廿二番 総持寺

津ノ國 廿三番 勝尾寺

津ノ國 廿四番 中山寺

薩摩國 廿五番 清水寺

薩摩國 廿六番 □乗寺

薩摩國 廿七番 書冩寺

丹后國 廿八番 成相寺

丹后國 廿九番 松尾寺

近江國 丗番 竹生島

近江國 丗一番 長命寺

近江國 丗二番 観音寺

美濃國 丗三番 谷汲寺
(法光寺境内に安置)