善き人々に出逢う旅 令和7年4月

三月の想い

東日本大震災を風化させぬように

 二月十九日頃、岩手県大船渡市の山林で発生したとみられる火災はあちこちに広がり、大きな被害をもたらして平成以降で、国内最大の規模になった。地表の落ち葉や枯れ草を伝って燃え広がった他に、炎が木から木へと燃え移る「樹冠火」が発生し、延焼が急速に拡大したと言われている。
 大船渡市では、住宅などの建物被害は210棟に上り、うち171棟が全壊。焼失面積は約2900ヘクタールに及び、市は最大で1896世帯4596人に、避難指示を出していた。
長期に続いた火災は、三月九日午後五時に鎮圧を宣言、十日午前十時に避難指示はようやく全て解除された。(「岩手・大船渡山林火災被災状況マップ」読売新聞写真部3月22日より)

  

 東日本大震災の津波によって、大船渡市は、死者340人、行方不明79人。建物被害は5556世帯(全壊2789世帯)に、及んでいた。
(2011年3月15日時点の数)
 山林火災で被害を受けた地区の多くは、大震災の津波でも浸水している。その後せっかく住宅を再建したものの、今回の火災で再び被災するという「二重被災」をした人々も少なくないと、みられている。
一生のうちに、二度もこのような災害を受けた人々のお気持ちは、どんなものだろう。私どもには想像もできない苦悩と落胆があるだろう。政府はこの山林火災に対して「激甚災害」に指定する方針を明らかにしたが、速やかな復興支援を、心より願わずにはいられない。

  

 「二重被災」といえば、昨年一月の「能登半島地震」の後、九月の「集中豪雨災害」に襲われた方々もそうだ。被災した事業者、個人の中には、被災前の負債に加えて新たに借り入れを行う「二重債務」となっているところもあるだろう。私たちは、ニュース報道に触れる時は、いささか心を痛めるが、半年も過ぎると、その地域の人々のことを忘れがちになってしまう。でも「被害を受けた人々は、長い期間苦悩と向き合い、葛藤を続けながらの日々を生きている」ということを、忘れてはならないと思う。

  

 宮城県石巻市の、K住職は、震災の直後よりずっと、海岸線を雲水姿で歩き「慰霊行脚(あんぎゃ)」を、真摯に努めている。彼が住職しているお寺は、港よりやや遠くにあり、大きな被害を免れた。しかし、檀信徒や地域の人々、友人知人の多数が波に飲み込まれ、いのちを落とした。
 わずかな物資を持参して、私が慰問に訪れた時は、隣接するお寺の保育園の建物に、沢山の人々が非難されていた。境内にも多くの車があって、その中で寝泊まりされている方々も多数いた。話を伺うと「いびきが大きく皆に迷惑をかけるから、車で寝ている」と、話された。ガソリンも殆ど流通していない中で、震える夜を半月以上過ごされていたのだと思う。
 仮設トイレもなく、「男性は境内の山の方で小用をして」と言われた。夜中に目が覚めて、手探りで外に出て用をすませた。荒廃した町を、月が煌々と照らしていた。漁業の町、石巻市街は、物音一つ聞こえなかった。あの夜のことは、決して忘れられない。

  

その後、K住職は、毎月十一日に、かかさず海岸線を歩き続けている。多くの人々の悲しみと、無念を背負いながら、彼は歩き、経を読み続けているのだろう。
 本年の三月十一日の供養の際は、本山で一緒に修行した仲間が数名駆けつけ、共に行脚されたという。おそらく彼は、この行を一生続けるだろう。「大震災を忘れてはいけない。忘れさせてはいけない」と。

  


令和7年3月11日。
石巻市新蛇田復興団地集会所と能登穴水由比ヶ浜仮説集会所をzoomでつないで開催された「命と心のリレー」。
カフェデモンクオフィス代表の金田諦應師が、司会進行。
私もズーム参加し、共に祈りました。