善き人々に出逢う旅 令和7年6月

賢い光の子に

4月21日 フランシスコ教皇死去

 ローマ教皇庁は、フランシスコ教皇が、4月21日午前7時35分、教皇庁の住居で死去したと発表した。脳卒中と心不全が死因で、88歳であった。アルゼンチンのブエノスアイレスでイタリア系移民の家庭に生まれた南米出身者初の教皇は、在任中は世界各地の紛争などの平和解決に尽力された。
 2019年には日本を訪れ、11月24日には、原爆が投下された長崎と広島を訪れた。
唯一の戦争被爆国の爆心地である両都市を訪れることで、核兵器廃絶を世界中に訴えたのだ。訃報を受けた長崎、広島の人々は、宗教・宗派や信仰の有無を越えて大きな悲しみに包まれたと思う。
 カトリック長崎大司教区の中村倫明大司教は「真の平和であり道である福音を示してくれた。私たちも自信と誇り、勇気を持って周りの人々に伝えていく決意を新たにしよう。諦めることなく行い続けていくことを教皇への弔辞としたい」と談話を発表した。
 僧侶有志でつくる「念仏者九条の会」の共同代表である小武正教師(広島県三次市、浄土真宗本願寺派西善寺住職)は「核兵器廃絶を真正面から訴えてこられた。同じ宗教者として尊敬している」と、話されている。
(『文化時報 4月29日号』より)

5月8日 レオ14世 新教皇選出

 8日、ローマ教皇庁は、「コンクラーベ」と呼ばれる教皇選挙で、ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿を第267代教皇に選出したと発表した。アメリカ出身初の教皇としてレオ14世を名乗るという。
レオ14世はアメリカとペルーの両国籍を持ち、ローマに派遣されるまでは、ペルーを拠点に活動。2023年に枢機卿となり、前教皇から司教省長官に任命され、重要な役割を果たしていた。
 世界各国は、アメリカ出身の教皇が選ばれたことに、当初「驚き」も見られた。超大国とカトリック教会の権力集中を避けるため、教皇はアメリカからは選ばれないとみられていたからだ。しかし、新教皇は、「祝福」での発言によって、前教皇の改革路線継承の意思を示し、トランプ政権による世界の分断化に歯止めをかける道を、はっきりと示した。
『ローマ、イタリア、全世界の兄弟姉妹の皆さん。私たちは、道を歩む教会、常に平和を求め、常に愛の業を求め、特に苦しむ人に常に寄り添うことを求める教会です。』
(『最初の祝福』より)

「光の子」と「闇の子」

 第二次世界大戦末期の1944年、神学者ラインホールド・ニーバーは、『光の子と闇の子』と題する民主主義論を出版した。ヨーロッパがナチズムによって危機に陥ったのは、リベラルな民主主義諸国が「愚かな光の子」だったからだ、と指摘した。
 イエスは聖書の中で、人間の善意を信じる人を「光の子」とし、自分の利益しか考えない人を「闇の子」(または「この世の子ら」)とした。「光の子」は、常に道徳的な主張を掲げて、利己心を抑制すべきとする理想家だ。
「光の子」が、自分自身の中に潜む利己心に気がついていない時は「愚かな光の子」である。ナチズムがヨーロッパを席巻し得たのは、「民主主義国家が、その内に潜む利己心を見くびっていたから」と、ニーバーは指摘する。
「諸国がいくら道徳を説いても、その内には私的利益を追求する心を隠し持っていたのだ」と。「賢い闇の子」は、それを見抜き、彼等を操って戦争の道を進んだというのだ。
 ニーバーは、大戦後の冷戦の世界を見越してアメリカが果たすべき役割をも論じていた。「アメリカはあくまでも正義を内包した平和を目指すべきで、自国の利益のみを求めて独善的に陥ってはならず、孤立してはならない」と警鐘を鳴らしていたのだ。
「賢い光の子であり続けなければならない」というニーバーの予見を、今この時代こそ大切にしなければならない、と思う。

光輝く方へ

 釈尊は、人の生き方を、四つに示された。
一、光から光へ歩む
二、光から闇へ歩む
三、闇から光へ歩む
四、闇から闇へ歩む
「光から光へ」進む人生を歩む事は困難だが、私たちはせめて「光の方を目指して生きたい」と思う。そのような希望を抱ける世界であり続けて欲しいと、切に願うものである。              (続く)


光の子と闇の子
法光寺境内の梅の古木。
今年も見事に咲いてくれました!