宮沢賢治の故郷を訪ねて
二月の後半の三日間。岩手県の花巻市、盛岡市に行ってきた。花巻市には『宮沢賢治記念館』、盛岡市には『石川啄木記念館』がある。
あいにく『石川啄木記念館』は、休館中であったが、東北新幹線の新花巻駅の近くにある『宮沢賢治記念館』を訪れることが叶った。
また、盛岡では、二人の青春時代をたどることが出来る『もりおか啄木・賢治青春館』(旧第九十銀行本店本館)の趣あるレンガ造りの建築を訪い、ノスタルジックな雰囲気を味わった。啄木と賢治がこよなく愛した当時の盛岡、モダンな街に変わろうとしていた時代の空気を感じて感慨深いものがあった。
人と人との出逢い、人と街や風景との出逢いは、時に不思議な縁から起こる。
ことの起こりは、次の通りである。
先年『中外日報』という宗教新聞に、私どもの記事が掲載された。拙僧が代表をつとめる『カフェ・デ・モンクえりも』の活動の一環に、メンバーがえりも町での就労体験として、ミニトマトやほうれん草の栽培、収穫に従事するというものがある。ズームでの取材ではあったが、拙僧の話を通して記者がそれを『農福連携』として、まとめてくれた。
〈『農福連携』とは、簡単に言うと農業分野と福祉分野が提携して活動することである。
障がいを持つ人々が、希望や能力の特性等に応じて農業に従事し、活躍出来る環境を整備して、サポートする取組である。それによって経営体は労働力の確保や売上増加があり、当事者は賃金の向上や心身状況の改善などが見込まれる。農業と福祉の双方に良い効果をもたらすことが多く、政府も『ニッポン一億総活躍プラン』(平成28年6月閣議決定)で、これを推進している〉
『中外日報』の記事が出てからしばらくして『曹洞宗宮城県宗務所』の教化主事老師から、突然電話を頂戴した。
令和七年二月の『檀信徒地方研修会』で、『農福連携』を中心に、『カフェ・デ・モンクえりも』の活動の話をして欲しいという、ご依頼である。えりもの農業活動は、ささやかなものなので一瞬躊躇したが、盛岡市郊外のホテルが会場と伺い、直ちにお引き受けした。
だいぶ以前、布教師として岩手県を巡回したことがあるが、海岸地域が主で、内陸の方は細かに歩いていない。そして、農業といえば、すぐれた童話や詩を書きながら、農民と共に生きようとした宮沢賢治の歩みが浮かんだのだ。賢治の思想の根底には、『法華経』の奥深い信仰があり、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』序論)という、強い信念に基づいた利他行の生き方があった。そんな賢治を育てた風土を訪ねながら、あらためて賢治の生涯を学びたいという心が、ふつふつと湧いていた。
半年以上前からのお約束の日は、あっという間にやってきた。新千歳空港から、いわて花巻空港に飛ぶ。さいわい千歳も花巻も、雪が殆ど無く、微風は少し冷たく吹いていたが、二月にしては上々の晴れ天気。研修会開始前の時間に『宮沢賢治記念館』を、訪れた。丘の上にある記念館には、下の道路から階段を四百段登ると到着するが、時間が限られていたので、タクシーで入り口まで。木々の間にひっそりと佇むその建物の中には、賢治の世界観が、様々に工夫され再現されていた。
「科学」「芸術」「宙(そら)」「祈」「農」の五つのコーナーに分けて展示されているのは、賢治の作品の紹介だけではなく、それを形成したバックボーン。影響を受けた人物たち。事物(鉱石の多種の見本や、「セロ弾きのゴーシュ」にちなんだチェロまで)や、作品にあらわれる風景の映像。その世界観、宇宙観が多様に相まって、賢治独自の『心象風景』が、見事に表現されているのである。
詩人の気高い祈り、生涯を貫く尊い願いが、エクリチュールという表現に結実していく秘密が垣間見えて、スリリングな体験であった。
『研修会』は、熱心に開催され、高齢の参加者の方々の真摯な学びの姿に、感銘した。
主催の宗務所の役職員諸師や、宗務所護持会役員様にもご厚誼を頂き、大変お世話になった。花巻と盛岡、忘れられない人々と風土。そして宮沢賢治との出逢いに多謝。合掌。 続く

研修会の様子

宮沢賢治記念館