善き人々に出逢う旅 令和7年11月

十勝の小旅行~太鼓と紅葉と美術館

 北海道の南東部、帯広市を中心に16町と2村で構成されたエリアを「十勝地方」という。その広さは、日本で7番目に大きい岐阜県とほぼ同じ。真っすぐな道路が続くわきには、防風林に囲まれた畑がどこまでも広がる。開拓で移住してきた人々が切り開いた畑や、牧畜業で成功した大規模農家が多く、農産品や乳牛製品を主とする産業基盤によって、豊かな暮らしをしている人々が多い土地柄である。

10月15日 帯広市民文化ホール

 太鼓を中心に和楽器の演奏と、独特のパーフォーマンスで人気の「DRUM TAO」(ドラム・タオ)の公演に、妻と出掛けた。「世界で通用するエンターテインメント」という目標を掲げ、1993年愛知県小牧市で結成されたパーフォマンス集団。和太鼓を主体に、篠笛・箏(こと)・三味線などによる演奏に、殺陣を取り入れた踊りに工夫を凝らしドラマティックに展開していく。ユーチューブでそれを観ていたが、実際のステージは予想より激しく、気合がこもっていた。現在は、大分県竹田市久住町を拠点にし、大小3つの稽古場をはじめ、トレーニングジムやスパ、ゲストハウスなどの複合施設を備えた「TAOの里」で稽古にはげみ、3つに分けたグループが、国内をはじめ、世界中で公演を重ねているという。
 和太鼓の集団では「鼓童」が有名だが、独特の世界観の表現は、国外でも高く評価されているようだ。何よりも舞台から発揮されるエネルギーの強さと一体感に感心した。

会場入口に大きく展示されていたDRUM TAOの出演メンバー

翌日 鹿追町「福原山荘」と「福原記念美術館」

 十勝には、一代で財を気付き、それを有功に活用して、地元の観光に結び付け、文化の発展に寄与した幾人かの人物がいる。十勝・釧路地方に大きく展開する食品スーパー「福原」の創業者、福原治平氏もその一人。十勝館内の商店に生まれた氏は新得村に育つ。二十歳の時に旭川の陸軍部隊に徴兵されるまで、七年間旭川市の時計店で働く。その後ノモハン戦争に出征し、帰国してから鹿追町で食堂を開く。魚屋を併設し、やがて生鮮食料品も扱う。商売は、順調に進み、後に株式会社福原商店に発展。鹿追にある然別湖畔に「ホテル福原」を建設。ホテル内に「ミネルバ美術館」を作り、所蔵した作品を展示するようになる。高額な美術品を買い集める一方、地元出身の作家や、十勝の風景を描き続ける作家を育てることにも力をいれる。「ミネルバ美術館」にあった作品を移し、広い敷地に「福原記念美術館」をオープンさせた。

 福原氏が気にいった画家の一人に、斉藤斎氏がいる。大らかな表情、スタイルの女性を描いた肖像画や、美しい十勝の風景を描いた作品が展示されている。彼の画家としての矜持を表した「貧困を恐れず」という一文を読んで、感銘を受ける。

〈私は少年時代から今日に至るまで、絵描き以外の日々を過ごしたいと思った事はない。(中略)貧困は苦しかった。好きな道を歩いているのだと、貧しさに負けなかったのは、幼い頃から食事にも事欠く日々の連続だったためであるが、どんなに苦しくとも、自分の進む道は変えてはいけないと思う。〉

 一人の芸術家の成長には、必ずそれを支える人々との出逢いがある。自身も若い頃から、身を粉にして働き、苦労を重ねてきた福原氏だからこそ、斉藤画伯の才能を信じ、応援し続けてきたのだろうと想像される。あまり知られていない画家の作品との出逢いがあって、私も心の栄養を一つ頂戴した思いである。

福原記念美術館の入り口

福原記念美術館の館内 ここは撮影OKでした

 さて、芸術とともに、福原氏が大切にしたのは、自然の美である。然別湖は、パワースポットとも言われる神秘の湖の一つ。その近くに、「福原山荘」と名付けられた素敵な場所があった。九月中旬から十月中旬までの紅葉シーズン限定の無料で公開される山荘である。8.5ヘクタールの広大な敷地に、沢山の木々が植樹されていて、散策路には、小さな滝や、人工の池の庭園が整備されている。中心にある池に、計算されて植えられた紅葉の赤が映えて、絵のような美しさに見惚れた。
 一足早い紅葉を鑑賞できて、私どもは大満足。日常を忘れさせてくれた二日間。宝石のように、煌めく時間を頂戴したことに合掌。

続く

福原山荘 池に映える紅葉