道北の布教の旅で
古希を迎えて三年を過ぎ「老人力」が増したようだ。物忘れが頻繁になり、旅に出ても鞄の奥にしまったものを無くしたと思い、あちこちを探している。携帯を見失い慌てて探して30分後、ホテルの部屋のデスクの上に、最初から堂々と鎮座しているそれをみつけて、ほっとすることなどは、屡々。己の迂闊さに腹が立っては、がっかりするのである。
十月下旬の四泊五日。道北の苫前郡と留萌郡の曹洞宗寺院様四カ寺を拝登し、法要に随喜して、法話をつとめる旅に出た。昨年のこの近隣のお寺に続いての布教巡回。勝縁に感謝し、奮起して伺ったつもりである~
『今を安らかに生きるために』という主題でレジュメを作成し、資料など用意して、カラーコピーで刷って、予め持参する。御寺院の様子などもリサーチし、教場に合わせて、話材は全て異なるものにしようと、工夫する。
*『生老病死』は、「一如(いちにょ)」である。「生きる」ことは「病む」ことであり「老い」「死ぬ」ことである。「生」の中に「死」があり。「死」の中に「生」がある。人は少しずつ、「死」に向っている。「老い」もその一つの課程である*
*いたずらに「死」を恐れず、「生(いま)」をしっかりと生きる。「自己」と「他己」の幸福を「一如」と受け止める「智慧」を学び、「慈悲」を実践する生き方の中に、真の「安らぎ」がある*
概ねこのような主題を、説いたつもりである。
最初の三日間は、法友であるS老師のご配慮もあり、同じホテルに宿を取って頂いた。長時間の運転と、しばらくぶりの教場で疲れたので、三日目の午後は部屋でウトウト。夕食を頂き少しくのんびりして、明日の予習に本を読もうとして「はっ」と気が付いた。「老眼鏡がない?一大事」それから、部屋中を探し、車の中をくまなく探しても見つからない。ホールで新聞を読んだことを想い出したが、そのあたりにも無い。食堂は早々と閉まったので、フロントの方に頼むと、見回り時に探してくれるという。しばらくして電話を頂き「何処にもない。忘れ物にも届いていない」と伺い、愈々焦る。昨今は、携帯の次に大事な眼鏡。もう一度鞄とスーツケースの底まで探すが見つからず。最期に「もしや」と思い、ベッドをすっかり動かし、壁際をみると「落ちていた。ありました!」。フロントにお詫びを申し上げ、安堵と共にどっと疲れが~約二時間の捜索でした~トホホ
自己の恥じを、自虐ネタにして話すのも布教師の術(すべ)。翌日はこのお話を枕に、大いに笑って頂く。それに続けて、活き活きと生きて「軽度認知障害(MCI)にならない為の日々の心得を紹介する。~鎌田實先生著書の『長生き脳活』の受け売りである~
*①声を出して笑う ②人と触れ合う ③体を良く動かす ④好奇心を持ち、感動する ⑤良く眠る ⑥歯を大切にする*
檀信徒の皆様へのおすすめであるが、自分への戒めも込めて、「日々を大切に生きる」ことが、「安らかに生きる」道であると、説く。
法話の最終日の教場は、住職夫妻様と、東堂(前住職)夫妻様、そしてご本山の修行からこの春帰られた若方丈様がお揃で、賑やかなお寺。東堂様は数年前に大病を為されたが、回復をされ堂々と導師もおつとめされる。お連れ合いのお奥様は、難聴に煩わされていますが、法要の最初から、法話の終わりまで、背筋を伸ばし矍鑠と坐っていらっしゃる。
これは大変と思い、気合を入れ直してどうやらお話を終えた。本尊様に礼拝し、皆様に挨拶して最後にお奥様の側によると、お手を差しだされた。その手を握り返すと、「今丁度、布教師さんの著書を、読んでいるところでした」と、一層強く握り返された。十数年前にこちらに布教に伺った時の想い出が脳裏に、浮かんだ。年月は経たけど、しっかりと又聴聞して下さっている。耳元で「お元気ですね」と言うと「うん、うん」と頷いている。おそらく、私の話は殆ど聴こえてはいないだろうが、何かは伝わっていると確信した。
お釈迦さまは仰っている。『欠けているものや足りないものは音を立てるが、満ち足りたものは静かなものである』(スッタニパータ721)と。お奥様の日常はきっと、静かな世界にしっかりと、包まれているのだろう。「言葉が届かなくても、伝わる世界がある」と、あらためて学ぶことが出来た尊い瞬間であった。 (続く)

布教のようす

本堂で布教のようす

苫前町 郷土資料館

苫前町 郷土資料館

苫前町 郷土資料館