善き人々に出逢う旅 令和8年2月

永遠の別れに想うこと

 新しい年を迎えてから、月日のたつのがとりわけ早く感じられる。
 近年温暖化が進むと言われるが、今年の冬は近年になく厳しい。日々目まぐるしく天気模様が変わり、温度差が激しい。当地では、昨年十二月から強風が度々吹き荒れ、雪も数日おきに降っている。海岸線なので、雪の量は少ないのだが、風が吹き荒れると地吹雪に見舞われ、車を運転するのも大変になる。
「厳しい冬よ、早く去れ」と。心の中で呟いている。寒暖差のせいもあるのか、突然倒れて病院に運ばれ、黄泉の旅にのぼられる方も続いている。
 海の風去年より来る冬風巻(ふゆしまき) 俊也

 

 松があけて数日もしない内に、妻の親戚の女性の訃報が届く。七十半ばに近いお年。今の時代では早すぎる。
 その日夫婦で、普段通りに過ごしていた。
お昼ご飯をいつものように食べ、寛いで二人でテレビを観ていた。突然、妻が椅子からころげ落ち、物言わなく倒れる。夫は最初ふざけてるのかと、思ったと言う。慌てて救急車を呼び、そのまま病院に入院するが、一言も発することなく、二日で永眠された。夫も子どもたちも、何がなんだかわかららない内に、葬儀を迎えることになった、という次第。悲しみに打ちのめされた夫の姿に接すると、掛ける言葉も、浮かばないのである。

 

 「別離は突然やってくる」と、あらためて噛みしめる。拙僧の母も、そうだった。
 三年前の一月四日。前日三日、箱根駅伝観て、父の母校である駒澤大学が総合優勝を果たし、喜んだ。「お父さんが生きてたら、どんなに喜んだことだろうね」と、何度か同じ話をした。その後私ども夫婦が出掛けて帰るまで、機嫌良くなって、久しぶりで一人カラオケをしたようだ。夕刻帰って様子を伺うと、「ご飯も食べたし、お風呂も明るいうちに入ったから、もう寝る」と言う。「そうかい。では風邪を引かないように。お休みなさい」と。
 それが、最後の会話になった。翌朝未明、息を引き取っていたのだ。九十歳をとうに超えていたから、惜しい年齢ではない。僧侶として、同じような経験をされた方々を、沢山お送りしている自分である。しかし、やはり息子としては、後悔の念、感情がある。

 

 作家・エッセイストの平松洋子さんが、両親のことをこんな風に書いていた。

 〈六年前に父が亡くなり、三年前に母が亡くなった。もう両親がこの世にはいないとわかっているのに、妙な感覚に襲われる時がある。
 電車に乗り込んできた老人に父の面影が重なってどきりとしたり、横断歩道で信号待ちをしている女性の横顔が五十代の頃の母にそっくりで息を呑んだりする。その度に胸がざわつくというのだ。仕事仲間の女性も、同じような経験があるという。
 「もう会えない、会えるはずがないとわかっているから、よけいに会いたくなる。聞いてみたいこと、知りたいこと、話したいことが小石を積み上げるように年々歳々増えてゆく。父や母を喪うことは、そんな理不尽な願いを抱えながら暮らすことなのだと気づくまでにずいぶん時間がかかった。
 すくなくとも私にとっては、六年間の、三年間の歳月が必要だったのである。」〉 PHPNo.933 「忘れられない父のこと母のこと」253 より

 偶然同じ時期に、同じ間隔で両親を亡くしているが、拙僧にはそのような経験は無い。しかし、同じようなことを語る人の話は、時おり聞く。亡き人に対しての想いの強さの違いや、こだわりの違いがあるのだろうか?
「愛別離苦」(愛する人や大切な人と別れる苦)という悲しみや辛さは、誰もが経験して行く道である。そして、それを乗り越えるには、相応の時間が必要であろう。
 仏教で説く「苦」は、単なる苦しみではなく「自分では思うようにならないこと」を意味する。大切な誰かを失うことは、自己の一部を失うことでもある。しかし、それでも人は歩み続けなければならない。亡き方々の想いを大切にして、心して生きて行きたいと、思うのである。
 銀花散る愛別離苦を噛みしめて 俊也              (続く)

 

法光寺では、門付けをして、寒修行のお札を各家にお渡ししています。
手甲の代わりに、腕につけているのは、檀家様の女性が毛糸で編んでくれました。

 

うっすらと雪が積もった岬の反対側から撮った写真。
西風が強く吹き荒れる日本一の強風地帯です。

 

えりも町郷土資料館のそばの「北緯42度地点」の表示です。