亡き人に送る花
先日久しぶりに、札幌のお檀家様の葬儀に出掛けた。「家族葬ですが、来て頂けますか」というお尋ねに、「お父様には、長くお世話になりました。勿論お伺いします。」とお答えした。翌々日、お通夜に間に合うように、車を走らせた。幹線道路は綺麗に除雪されていたが、市内の脇道はまだ雪に覆われていた。
思いの外早く着いたので、早速式場責任者のMさんと打ち合わせ。自己紹介が終わった後、開口一番「昨日法光寺のホームページを拝見。不意の別離について書かれていた部分、心に響くものがありました。」と仰った。「そうですか?有難うございます。」と答え、打ち解けた雰囲気の中で、打ちあわせをした。何気なく「どうしてこのお仕事につかれたの」と尋ねると、意外な答えを頂戴した。「実は最初カウンセラーの仕事をしていた。15年前、東日本大震災が起こった時、故郷の父が土砂崩れに巻き込まれ行方不明になったとの知らせを受け、直ぐに帰郷した。数日後、父は遺体で発見されたが、身体はひどい状態だった。その折、ボランティアで来ていた葬儀社の方が、実に丁寧に遺体を整えてくれた。涙を堪えながら、その姿に感銘を受けた。しばらくしてからも、その事が忘れられず何時の間にか転職を考えていた。思い切って妻に打ち明けると、直ぐに背中を押してくれた。それ以来、精一杯つとめている次第です」と。
そのお言葉のとおり彼は、通夜・葬儀をスタッフと共に、懇切丁寧に進行して下さった。
「不意の別れ」を経験された方々に、出来るだけ寄り添おうというMさんの気持ちが、参列者に伝わっているような安らかさがあった。
さて、火葬場への出棺の際に、遺族がこぞって棺にお花を手向けるが、葬儀社ではこれを「別れ花」と称しているそうだ。最近はどちらでも普通に行われる儀式だが、いつから始まったのだろうか?
ここで思い出すのは、夏目漱石の有名な一句。
『あるだけの菊投げ入れよ棺の中』
漱石35歳の時、胃腸の病で入院中に、歌人大塚楠緒(くすお)さんの為に詠んだ手向けの句だ。随筆集(『硝子戸の中 二十五』)には、美しかった彼女との出逢いの想い出の文章が添えられている。病床の中での別離の詠嘆の強さが感じられて、忘れられない秀句である。
私が若い頃の葬儀は、未だ造花が主であったが~。冬でも絶えることなく花を育てることが出来、出荷、流通がスムーズになって、生花は容易く使われるようになった。
一つ気になるのは、「別れ花」という名称である。葬儀が専門の業者によって行われることが進み始めた頃からか、「告別式」という言葉が使われるようになった。無宗教で行われる場合や、他の宗教で行われる場合は、別に構わないだろう。しかし、僧侶が行う「葬儀」は、単なる儀式であってはならない。仏の弟子として亡き方を荘厳し、送ることが「葬儀」の本義である。仏の弟子としての旅立ちであり、単なる別れの儀式であってはならないのだ。遺族や参列者にもその事が理解されるように、誠心誠意つとめるのが導師の役目である。亡き人が、残された人々の心に、永遠に生き続けるように、拙僧は自戒する。
お墓に花を供える習慣は、古くから行われている。それは世界共通であると思う。
パリ郊外のオーヴェルス・シュール・オワーズにあるゴッホの墓を訪れた事がある。生涯最期の七十日、画家はここで制作活動に熱中し約八十点の作品を残した。そして自らの腹部を撃ち苦しんだ末、命を落とした。ゴッホの弟テオは、生前評価されなかった彼の画才を信じ、物心両面で支え続けていた。その兄の死はテオを打ちのめし、六か月後には後を追うように亡くなる。村の共同墓地には、その兄弟の墓が並んでおり、墓前には、緑の「ツタ=アイビー]が、一面に茂っていた。アイビーの花言葉は「永遠の愛」「誠実」「友情」等がある。根つくとなかなか離れない様子から「死んでも離れない」という意味もあるようだ。「ゴッホの絵のファンはひっきりなしにこの地を訪れ、供えられる花も絶えることがない」と、ガイドさんは話してくれた。
「只、花を供えるだけだはなく、想いを噛みしめ語りかける。眠っている方の事を想い、自分の体験を重ね合わせる。悲しみを生きる力に変え、亡き人の分も生命を大切にして生きることを誓う。感謝の気持ちを込めて、私たちは花を手向けるのだ」と、私は思うのだ。
札幌の葬儀でMさんは、棺に納める最後の花として黄色い「ミモザ」を用意していた。花言葉は「感謝」「思いやり」である。合掌
続く
ゴッホの過ごした家
ゴッホが描いた「オーヴェルの教会」
ゴッホ兄弟の眠るお墓
遊び心で、AIで作って見ました。