歩くことは、生きる活力
歩きはじめる不思議
ヨチヨチと、歩きはじめた子どもを、見るのは楽しい。ハイハイをしていた赤子が、突然掴まり立ちをするようになり、ある日ふらつきながら、一歩二歩と、歩むようになる。
その様子を見ていると、何とも微笑ましい。
「這えば立て、立てば歩めの親心」。江戸時代の俳諧『類柑子(るいこうじ)』が初出と言われているそうだが、子どもの安全と成長を常に気に掛ける親心は、いつの時代も変わらないだろう。
一歳をひと月過ぎて、数歩ほど歩みはじめた孫娘の仕草を見ていると、日々の憂さを忘れて、理屈抜きに幸せな気持ちになる。
ハイハイを自由にできるようになる頃から、赤子はあらゆるものに興味を持って、どんどんすり寄って行く。歩くことを覚えるとさらに好奇心を抱いて、とても嬉しそうに見える。
二足歩行が出来るようにになった人類は、移動距離が沢山伸び、アフリカから地球全体に、世界をひろげていった。空いた両手で手作業が可能になり、大脳が刺激を受けて、進化が進んだ。「喃語(なんご)=子音と母音を組み合わせた意味を持たない語」を発していた赤ちゃんが、歩き出す頃から、大人の言葉を真似て、意味を持つ単語を話すようになる。孫娘は「ぱーぱ。まま」を最初に覚え、「ねんねしない」を連発するようになった。そのしぐさを見、声を聴いていると、「歩くことには、ホモサピエンスの根本的な進化の原点がある」と実感する。
頑張って歩く
「わが身につもる老いを忘れて」。先の下句は、こう続いているが、自分の年を考えないようにして、歩いている昨今である。
数日前から『棺桶まで歩こう』(幻冬舎新書)という本を読んでいる。在宅ケア医として、二千人以上の看取りに関わった萬田緑平氏の著書だ。氏は34年間の医師生活の中で、「人間は歩けるうちは死なない」という確信を得たと語る。初めての診察で、患者が「歩けない」と言うと、「寿命は自分で測って。寿命ってどれぐらい歩けるか、どれぐらい立っていられるかなんだから、測れるんだよ。ちょこちょこ歩きじゃそろそろだね」「がんばって歩けるようになれば寿命が伸びるよ」と、患者さんたちを励ましているという。
三年前亡くなった母は、90歳を越えるまで、車の運転をしていた。免許を返納すると、「長い距離を歩くのが辛い」と言い出した。
それでも、手押し車を押しながら、寺の近くや境内を歩く運動をしていた。夕方になると歩きだすのは、勝気な性格で、人目を気にしていたからだろう。その歩く力が一層衰えてくると、老化が加速したようで、認知症の症状も感じられるようになった。その姿を見ていた私は、「棺桶まで歩こう」という萬田氏の表現が良く理解出来るのである。
目的や目標を持って歩く
私の住むえりも町には、『北緯42度の会』がある。えりも町の自然・歴史・文化について興味ある事を調べる活動。さらに、地元の山野を歩いて自然に触れ、その喜びを沢山の人々に伝えて、えりもを満喫することを目的としたグループである。
(北緯42度線が、えりも町を通過していることから、会の名称がとられている)
幅広い年代の皆さんが参加しているが、やはり多いのは高齢者だ。会の成立は平成13年からで、当初は町内の植物調査や、十勝管内に続く山道調査をしていた。どちらも歩くことが根底にあり、健脚の仲間が自然に集まっていった。「活動内容」には、様々なことが挙げられている。「えりもの自然を調べよう!」「身近な山や丘を歩こう!」「野鳥を見よう!」。他にも色々あるが、根本は「周りの会員や町民を巻き込んで楽しむ」という精神である。「歩く」というと、普通は一人か、せいぜい数人の仲間というイメージがあるが、この会の「多くの人々を誘って、楽しんで歩こう」というスタンスが素晴らしいと思う。
拙寺の川向に「観音山」という、低い山がある。明治時代に、篤信の方々が山道を築き、その途中途中に「三十三観音地蔵」を安置された。32の観音地蔵様が山にあり、最後の一体が拙寺の境内に安置されている。昨年は傷んでいた山道を補修しながら、この会の方々が参拝して下さった。今年もまた先日、山を一周した最後に、境内の観音様に立ち寄って頂いた。お若い方も参加していたが、八割は高齢者。前会長のKさんは、杖をつきながら歩いて下さった。そのお姿に感銘し、一同と共に、私は掌を合わせたのであった。
草萌えて花の陰なる石仏 白水(会の一員)
ツユクサや膝つき拝す山地蔵 俊也
続く
法光寺境内の梅

えりも町庶野の桜

観音山参拝

観音山参拝
観音山参拝=「北緯42度の会」
十数名の方が、参加して下さいました