教育とは何だろう?
AI教育の恩恵とリスク
教育現場では、生成AI(人工知能)の波が、子どもたちの学びや、学校現場に押し寄せているという。日本ではAI活用の推進が進みつつあるが、ノルウェーのように、学力低下の懸念から小学校でのAI利用は禁止、中学生以上も制限されるなどの規制強化に動く国もある。教育現場では、活用の恩恵とリスクの両面が指摘されている。AI活用のメリットとデメリットを、当のAI(ChatGPT)に聞いてみたら、即座に答えが返ってきた。
- メリット
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- 一人ひとりに合わせた学習ができる
- 教育の負担軽減
- 学習機会の拡大
- 学習意欲の向上
- デメリット
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- 情報の誤りや偏り
- 思考力や創造力の低下の懸念
- 不正利用の問題=作文や課題の丸写し
- 個人情報・セキュリティの課題
- 導入コストと格差
- 教員の役割変化
- まとめ
- AIは教師に代わる存在というより、「教師と生徒を支援する道具」として活用することで最も効果を発揮します。とある。
欠点を認めながらも、教育の質の向上と、効率化が進むというのが、AI自身の答えらしい。(AIに全てを任せては、いられない)
私の考える教育とは
特派布教師として全国を巡回する任務を頂いていた間、後輩の布教師を育てる講師の任についた時期がある。当初、浅学で未熟な自分が、他を指導することなど出来るだろうかと思った。迷いつつも「自己の体験に照らしながら、釈尊や祖師の教えをどう学び、どう実践するかを、後進の皆さんと共に参究するのが私の役目である」と、考えるようになった。僧侶の法話は、経典を学び、それを解説するだけのものではない。人々の生きる糧としての教え、生病老死の苦の世界に生きる道標となるべき教えである。それを説くためには、自ら悩み、他と共に歩む智慧と慈悲を学ぶことが、第一である。
社会人類学者ティム・インゴルドは『教育とはなにか』(亜紀書房)でこう記している。
「教育とは、教師と学習者が迷いや不確実な道をともに歩み、世界に応答する実践です」
インゴルドが提唱しているのは「教える側も明瞭な答えを持たずに不確実な環境へと開かれる〈弱い教育〉」である。教育の本質は、周囲の環境や事物の細部に注意を向け、世界を理解すること自体をともに実践する(共有化する)スキルを養うことにあるというのだ。
「教育とは、一方的に知識を与えることではなく、同じ探求の場に加わり、共に歩む道を目指すプロセスではないか」というのが、この時の私の結論であった。
共に学ぶことの大切さ
6月21日(日)「えりも町交流館ひなた」の二階は、子どもたちの声で溢れかえった。
札幌市内で、保育士として活躍する仲間たちが、「あそび博inえりも」を企画。町と教育委員会の後援を頂戴し、事前に各小学校、保育所と幼稚園にチラシを配付して頂き、ネット予約を受け付ける。各家庭500円で5枚のチケットを買って頂き、飲み物や食べ物と交換できる。また、スーパーボールすくいや輪投げ、くじ等のゲームに使える趣向で、100円で一枚ずつを追加できる。娯楽が少ない当町で、「あそび博」は大成功。子どもたちの歓声と、大人のほころぶ笑みが弾ける。参加者は百人を超えて大盛況だった。
この催しを企画し、主催の中心となったのは、お檀家の息子さんのU君。学校を卒業し保育士として地元に帰ったが訳あって札幌に転職。どうしているかと気になっていたが、札幌で仲間と共に、子どもたちのためのイベントを開催していると聞いた。「故郷でやってみないか」と話したら、仲間を大勢連れて来てくれた。拙僧も後援して、宣伝に走る。
当日、その彼の成長が見事に見てとれた。地元の高校生3人のボランティアを含む仲間への高圧的でないリーダーシップと配慮が、溢れていた。前夜、総勢7人が車で札幌からひた走り、真夜中に着いたU君の実家に泊まって朝を迎えたという。ご両親の理解と協力も素晴らしい。仲間のお母さん方を誘い、食べ物や、飲み物の係を担当されていた。
受付の項目には「アレルギーの有無」「SNSの投稿写真OKか」等、細かい質問があった。「スタッフ注意事項」を配って、運営の統一をしていた。行き届いた綿密さに、私は感心した。何よりも子どもたちをみつめる視線に、愛情が溢れていた。日々の触れ合いで子どもたちに「考える力と好奇心の火を灯す」ことを怠らず、自分も共に学ぶというあり方に、拙僧も知らず教えられていた。
続く
あそび博の若いスタッフと一緒に

わなげ

スーパーボールすくい

大混雑の会場風景

お手伝いの奥様方