青畳を拭く
久しぶりに、真剣に拭き掃除をした。バケツの水で濡らした雑巾をギュッと絞り、力を込めて畳を一気に拭く。その後乾いた雑巾で、もう一度上拭きをする。三十畳の小さなお堂であるが、大型扇風機を回しながらでも、これを二回繰り返すと、作務衣がびっしょり濡れていた。
本堂とその隣の龍神堂の床が、ギシギシしてきたので、出入りの工務店さんに、床の補強をお願いした。畳をはぐって床下をみると、思ったより傷んでいた。土台は概ね大丈夫だったが、大引きの一部が腐って取り換えなければならない状態。束のまわりの土は乾いているので、湿気はそれほどでもないと思っていたのだが~。二十年前の補強で、檀信徒が坐る場所のあたりの寒さ対策のためにグラスウールを入れたのだが、そこに湿気がたまっていたようだ。大引きの上の根太も大分取り換えなければならず、床板も全て張り替える大事になった。龍神堂の状態はさらに悪く、畳裏が黴に覆われていて、これを全部取り換えなければならないという大工事になった。
拙寺の建物は、昭和十五年の春彼岸の中日山門を残して全焼した。彼岸のおまいりに来た方の火の不始末が原因で出火し、おりからの強風で、あっと言う間に庫裡まで広がったという。辛うじて持ち出したのは、過去帳のみ。その時住職であった拙僧の祖父は、バケツの水を頭からかぶり、本尊様を持ち出そうと火の粉の中に飛び込もうとして、人々に押しとどめられた。それを三度繰り返し、やっとあきらめたという。私は幼い頃、祖母と同じ部屋で寝ていたが、着ていた洋服をきちんとたたみ、風呂敷に包んで枕元に置くように躾られた。「火事程恐ろしいものはない。大切にしていた什物も、想い出の品も一瞬にして全てを失ったのだよ」と、同じ話をした。「本尊様が焼けているのに自分たちの物を出してはならぬ」と、祖父は厳命した。「あの時程悲しい時は無かった」と、祖母は語った。
幸いなことに、伽藍は翌年、昭和十六年に復興された。戦火が激しくなっていた時代であるが、檀信徒の力が結集されたのであろう。 目黒という集落では、太く丈夫な木材が産出していた。特に、総代の岩間家が、近海の鮪漁で大漁を重ね、材料費を全て肩代わりするという大支援をしてくれたのが大きかった。そして、信仰心篤い岩間家は、龍神堂を一代寄進として、建ててくれたのだ。
各地に布教師で伺った際に、拙僧は自戒をこめて皆様にお願いするように務めて来た。
「このお寺を創建し、現在まで護持されてきたのは、寺檀一致した信仰の和合の力です。この柱の一本一本に、床の一畳一畳に、先人の汗と泪がしみ込んでいます。ご先祖が支え、仏を祀る安心(あんじん)の場となって伝えられてきたこのご本堂(道場)を、どうぞ大切にして下さい。辛いことや悲しいこと、また嬉しいことがあったら、おまいりして坐り、仏さまと静かに向き合って下さい。きっと生きる勇気と、活力が湧いてきますよ」と。
龍神様は、水や海、雨などを司る水の神様であり、古くから自然崇拝や仏教、神道、道教と結びついて、信仰を集めて来た。気象を操る力を持つとされ、開運や金運の象徴としても親しまれてきた。また、水や雨を恵む存在として、田畑を潤す農耕や、漁業の守り神ともされていた、漁業者の多い当町では、深い信仰を集め、拙寺では定置漁業者を中心に、春秋二回、海上安全と大漁円満の祈願法要を盛大に行ってきた。しかし、コロナ蔓延によって、行事が縮小されるようになってから、残念ながら、参詣者も少なくなっていた。
さて、龍神堂の工事の際には、内陣を養生してくれていたが、埃は堂内一面を覆っていた。畳を拭く前に、全ての荘厳を下して、まず棚を拭き、お祀りしている龍神様を磨いた。
龍神様は、インドにおいては、神話に登場する存在だったが、仏教に帰依して法を護る「八代龍王」などの天部になった。拙寺の龍神様は、山形県鶴岡市の善寶寺様の分身である。八代龍王のおひとり「娑伽羅竜王」と、その三女である「善如竜王」。お二人の龍王さまが、釈尊のお弟子となられ「龍道大龍王」「戒道大龍王」の名を授かり、私共を見守って下さっているのである。 一人で龍神様を磨き、畳を拭いていた時間、青畳の匂いが鮮烈であった。雑事に追われ、落ち着かない日々であったが、無心につとめることが出来た。このお堂を建て、守って来て下さった人々に感謝し、「可能な限り大切に護持していかなければならない」と、誓ったひと時である。
続く

龍神堂

龍神様の鏡


龍神堂~正面から

左側の建物が、龍神堂です
関連リンク:龍神さまにまつわるお話 – つるおか観光ナビ