カンボジア小学校建設

がんばっている子どもたちに学び舎を贈ります
将来の夢は学校の先生!お医者さん!

 子どもの数が多いカンボジアでは、小学校の教室数が足りていません。未だに1500教室が不足しています。また、やしの葉や竹で作られた校舎は、雨風をしのげず、雨季になると休校してしまう学校も多くあります。午前と午後で生徒を入れ替える「2部制」の学校がほとんどで、一人ひとりが受けられる授業時間が短いのが現状です。「もっと勉強したいのに・・」と思っている子が多いのです。特に地方では、農作業や家事の手伝いをしながら学校に通う子が大半で、家族を支えるために学校に行くのをやめてしまう子たちがたくさんいます。「新しく立派な小学校」が村に建つことで村人の意識も変わり、親たちは「将来のために、子どもを学校で勉強させよう」と、勇気づけられます。また、少ないお給料でもがんばっている小学校の先生たちの励みにもまります。
SVAでは、学びやすい環境を子どもたちに提供するための活動を行っています。

概要

 既存の古い校舎は老朽化のために、支柱のみで壁が無い学校も多くあります。隣の教室の声が筒抜けだったり、雨漏りしたり、強風時には崩壊する危険さえあります。電気のない地域の採光性に優れ風通しの良い校舎を新築します。学校建設地の選定は、州政府の教育局の情報をもとに、SVA職員が候補地の村へ調査や確認のために何度も通います。また、村人自身が行政との連絡や建築の進み具合の確認、土盛り作業などで直接に関わる「住民参加型」の学校建設を行っています。一緒に事業に参加してもらう事により、建設完了後も住民が学校に愛着を持ち、維持管理してもらう事と、子どもたちの教育の大切さを再認識してもらう事を目指しています。

学校の完成まで

カンボジアにて建設地の決定。東京事務所から「ご提案書」の送付。
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覚書の取り交し、支援金のご入金。プレート用のご芳名(ロゴ)確認。
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建設開始(工期は平均4ヶ月間)
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建設終了、ご芳名プレート設置。
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「贈呈式」(ご希望により参加いただけます)
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報告書(写真つき)のお届け。

完成までの歩み

州教育青年スポーツ局長からの感謝状


開校式回向文

平成十八年一月十八日
上来今月今日日本邦曹洞宗SVA国際
 ボランティア会法光寺支援校舎
 スヴァイ小学校贈呈開校之令辰
恭荘厳道場 諷誦
 摩訶般若波羅多心経所集功徳
 奉供養大恩教主本師釈迦牟尼佛
  高祖承陽大師 太祖常済大師
荘厳 無上佛果菩提
伏願 四恩総報
 三有齋資 法界有情 同圓種智
 所冀 当校関係者各々信根増長
 正法興隆 災障消除 所縁吉祥


カンボジアの夢

カンボジアの夢-1-

1月17日夕刻、気温約30度。
4年ぶりで降り立ったプノンペン国際空港はやはり暑かった。ムンムンとする熱気と、強い香辛料の噎(む)せるような臭い。
空港は訪れる毎に立派になっているが、20ドル払って入国ビザを求める人々の長蛇の列は変わらぬ風景です。

添乗員の堀川さんを含めて今回同行して戴いたのは18人。20代の学生さんから70代のお坊さままで、年齢も幅広く、住む土地もバラバラ。私の呼びかけに応じて全国から集まって下さった方々は、この旅で何を感じるでしょうか。
カンボジアの大地に、どんな魅力を発見して、感激してくれるでしょうか?
そんなことを想っている内に、無事入国の手続きが済みました。全員の荷物も手元に届き、まずは一安心です。

空港で待ちかまえていた懐かしい人々の顔を発見して、嬉しさが倍増します。
シャンティ国際ボランティア会のプノンペン事務所所長の内藤さんと、学校建設事業担当の小味かおるさん、スタッフのリスナーさん。そして現地の旅行社を率いて頑張っている大塚めぐみさんとガイドのポーキーさん。皆あい変わらず活力に満ち溢れている様子。優しい笑顔で一行を迎えて下さいました。

すべての者は、暴力に怯える。
すべての者は、死を怖れる。
自分に引き比べて殺してはならぬ。
人をして殺させてはならぬ(法句経 129)

すべての者は、暴力に怯える。
生はすべての者が愛好する。
自分に引き比べて殺してはならぬ。
人をして殺させてはならぬ(法句経 130)

カンボジアではポル・ポト政権時代に、宗教弾圧で多くの僧侶が殺され、生きのびた者は難民となって他国へ逃れた。教育も禁止され、教師も半分以上殺されたという。「眼鏡をかけている」というだけで殺された人もありました。宗教指導者やインテリ達が居なくなれば、新しい思想が育つとポル・ポトは考え、国を支えていた優秀な人々を次々に殺しました。

その手先となった兵士達は、殆どが山奥の田舎に住む貧しい人々の子供でした。「今迄苦しい生活をしていたのは、街の人間が搾取(さくしゅ)しているからだ!」と焚きつけ、親から離して「兵士」として育てました。文字を読めない子供たちを巧みに洗脳し銃を持たせ、大人を殺させました。国中に残る虐殺跡地はキリング・フィールドと呼ばれ、何カ所もあります。プノンペン郊外の有名なチュンエク村。アンコールワットのあるシュムリアップにも遺跡のすぐ側に残されています。

ポル・ポト軍の若き兵士達も、せめて文字が読めたら「どこかおかしい」「何かが違う」と気付いた筈です。殺された人々は気の毒ですが、ポル・ポトに騙(だま)され、政権崩壊後もゲリラとしてしか生きることができなかった子供達も又、哀れな存在です。アフガンやイラクでも幼い子供が銃をかまえている姿が度々見られます。子供たちが兵士になって、人殺しの道具にされているという悲劇は今も続いているのです。このような現実をなくす為に、世界中の子供たちが、せめて文字を覚え、本を読むことができるような教育が、絶対に必要なのです。

真実ならざることを真実と認め、真実を真実ならざることと認める者たちは、真実を知らず、虚妄の思惟に住する(11)
宮坂宥勝訳

初めてカンボジアを訪ねてから11年の間、私はこのようなことをずっと考えて来ました。カンボジアの大人達も同じ考えで、厳しい生活状況の中、協力して手作りの学校を建て教育を復活させようとしていました。しかしその多くは粗末な建物で、危険な崩壊寸前の物も少なくありません。

自分に出来ることは限られていますが、「一つでも二つでも学校を建てるお手伝いができれば」と思い、寒行の托鉢を行い布教をしてまいりました。そして、10年間でようやく2校目が完成。18日に訪れる予定のコンポントム州スヴォイ小学校は、どんな様子だろう。徐々に高まる期待で興奮し、その夜私はなかなか寝つく事ができませんでした。
2006年2月 善き人々に出逢う旅より

カンボジアの夢-2-

『旅は終わってしまうとするすると手を離れていってしまう。そのとき目にしたものは、永遠に消えてしまう。旅で見たもの、出会ったもの、触れたものに、私はもう二度と会うことができない。書くことで、かろうじてもう一度、架空の旅をするしかできない。いや、書くことで、架空にしろ、二度とできない旅をもう一度することができるのだ』(『いつも旅のなか』アクセヌ・パブリッシング刊)

2005年『対岸の彼女』で第132回直木賞を受賞した角田光代氏は、自身の旅を綴った本の〝あとがき〟に、こう書いています。

カンボジアの旅から帰って既に一月が過ぎました。あの美しく満ち足りた日々は、二度と帰ってきません。平凡であるが、忙しい日常をくり返していると、もう何年も前の出来事のようにすら思えます。時々刻々の光陰(時の流れ)は、すみやかに過ぎ去り、寸刻も止まることはありません。鮮やかな感激の記憶も次第に薄れていくのは、いたしかたない事かもしれません。

しかし、だからこそ、拙い文章であっても、私は「書く事によって感動を追体験したい」と、思うのです。

1月18日朝、私共一行は6台の4輪駆動車に張り切って乗り込みました。全員長旅の疲れも見えない爽やかな笑顔です。シャンティ国際ボランティア会のスタッフの方々と共に、元気よく出発。目的地は、プノンペンから約220キロ離れたコンポントム州スヴァイ村です。

以前に比べれば格段に良くなった道を車はひたすら走ります。大勢の人々が乗り合わせたトラック、中古の乗用車、3人4人、時には子供を含めて5人乗りのバイク、鳥や豚を満載したバイク。横断歩道はなく所かまわず道路を横切る老若男女。それらをかき分け、クラクションを鳴らしっぱなしにして、猛スピードで6台の隊列は進みます。ギリギリと思われる所で先行する車を追い抜き、対向車とすれ違う、曲芸のような運転。
私と妻を除けば、初めて体験する皆さん。さぞ、ハラハラ、ドキドキされた事でしょう。最初は車にしがみついていた皆さんも、1時間も過ぎると慣れたようで、あっという間に過ぎて行く光景に目を瞠(みは)っているようでした。

しかし、本当の悪路は昼食をとり、一休みしてからの最後の50キロでした。赤土の誇りが舞い、急カーブ、窪みが続き、激しい衝撃が襲う。人家も見えません。

「道を間違えたのでは…」と思い始めた瞬間、突然視界が開け、真新しい学校とそこで待ち受ける大勢の人々の姿が見えました。 校庭内の式典を行う場所にいたる迄、子供達が2列になって花道を造り、真摯(しんし)な合掌で迎えてくれています。予定よりかなり遅れての到着。灼熱の大地でじっと待ち続けてくれていたのでしょう。その歓迎の中を一列でゆっくりと進む。茶褐色の肌に、きらきらと光る黒い瞳が、一斉にこちらを凝視(みつ)めています。

「直射日光の下で一途に待っていてくれたのだな」と思うと、不覚にも泪が出そうになりました。2校目の小学校建設を志してから4年余、私もこの子供たちに逢える日を心待ちに夢見ていたのです。

今回「法光寺」が支援したスヴァイ小学校は、鉄筋コンクリート煉瓦積み瓦葺き平屋校舎1棟3教室で、約150人の子供たちが学ぶことができます。その他に、トイレ1棟4室と井戸が1つ。さらに、教室備品として児童用椅子が60基、教師用机椅子3組、教壇3基、黒板3枚。これだけの物が、わずか300万円で完成しました。この村で字を読むことができるのは、3人の先生(町から派遣)の他は、村長さんだけです。子供たちだけではなく、大人たちもどんなにか学校が完成するのを待ち望んでいた事でしょう。
初めてカンボジアを訪れた皆さんが、それを如実に感じ、感激を共にして下さったのも、私にとって大きな喜びでした。

小浜市の岡陽子さんの歌をご紹介します。

「サファリラリーの如き道路(みち)で宙に舞う 四駆の荷台の思い出深し」
「スヴァイ小の子らの無垢なまなざしに 深まる願い永遠(とわ)の平穏」
2006年3月 善き人々に出逢う旅より

カンボジアの夢-3-

人生には特別な一瞬がある。

私の好きな詩人の一人、長田弘氏は書いています。

ほとんど、なにげなく、さりげなく、あたりまえのように、そうと意識されないままに過ぎていったのに、ある一瞬の光景が、そこだけ切りぬかれたかのように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、ありありとした記憶となってもどってくる。
(『人生の特別な一瞬』晶文社刊)

私にとって10年前、初めてカンボジア・アンコールを訪れた時がその瞬間です。SVAの主催による『僧侶のためのスタディーツアー』に参加し、プノンペンを中心に各地のお寺や学校を視察し、図書館に於ける絵本の読み聞かせ等を体験した後の最後の1日。アンコール・ワット、アンコール・トムの遺跡観光が、ごほうびの様に用意されていました。
早朝、プノンペン国際空港からプロペラ飛行機に乗って1時間余り、当時のシュムリアップ空港は実に素朴で、観光客もまばらでした。

この日午前中と、昼休みを除いた夕刻までの時間。駆け足で巡った遺跡群は、圧倒的な存在感をもって迫って来ました。遺跡自体のスケールが巨大であるだけではなくそれぞれが精緻な美しさを併せ持っています。「本当に人間が設計し造ったものだろうか」と、思わずにはいられない。深い思想と造化の神が合体したような、宗教的宇宙観の具現化された古代の石造寺院や都市の跡が、周囲の自然に見事に囲繞(いにょう)されて奇跡的に残されています。

多くの訪問者と同じように、私が最初に出会い、息を飲んだのは、アンコール・ワット南側からの景観です。チュックポストを過ぎ高い木々の茂る森に入って少し行くと、満々と水をたたえた環濠(寺院を取り巻くように掘られた人工の濠)が見えてくる。その中央にかけられた橋の先に、ラテライトという石で造られた壮大な黄色い壁が見え、中心に3つの塔からなる高い中央祠堂が望まれる。世界遺産の紹介で必ず出てくる有名な構図ですが、そのシンメトリーの美と、緑の森をバックに豊かな水に生える、石の建造物の調和は、何度見ても飽きません。その均整のとれた構成に、ある種の心地よさを感じるのは、私だけでしょうか…。
2回、3回と訪れる度に、その想いは強くなり、日常の暮らしの中でも不意にその光景が脳裏に浮かんできて、屡々(しばしば)、白昼夢の中で、アンコールへの旅に、私を誘うのでした。

今回のツアーでご一緒した皆さんは、様々な経歴・職業をお持ちの方々です。
建築家はさっそくデッサン帳を取り出しました。計算された構図に、どんな光と影を見出しているのでしょうか。
音楽家は、この静謐な空間に神秘の響きを聴き、穏やかな旋律をなぞっているようです。
教育者の方々は、ビデオやカメラの撮影に熱心です。日本の子供たちに、様々な想い出を伝えてくれることでしょう。
そして仏教者(僧侶や仏教学部の学生さん)は、ヒンズー教と仏教の不思議な融合の世界に、時空を越えた啓示を感じた筈です。
それぞれの感動のポイントは勿論違いますが、すべての人々を魅きつける美しさを、アンコールは持っています。

1958年生まれの日本画家・千住博氏は、美しさについて、次の様に語っています。

人間は驚くほど皆同じであり、嬉しければ笑い、悲しければ泣く。美味しいものを食べれば美味しいと感じる。国教や民族、宗教そして思想をも超えて、人間は皆同じなのです。そのことを伝えるのが美の役割です。(中略)美を共通の体験として人々は、あなたと私は同じ人間なのだ、ということを知ることができるのです。美の前で、人々は絶対的な自分の本心に向かい合うことになるのです。美しいと感じる心を欺くことはできません。
(『美は時空を超える』光文社新書刊)

ポルポト派の支配が続いていれば、遺跡は破壊されていたかも知れません。およそ七百年に渡って作り続けられたこの遺産を守る為にも、世界が協力して、平和な社会を築いて行く義務があります。
2006年4月 善き人々に出逢う旅より


いのちを凝視(みつ)める

 吉田兼好の随筆「徒然草」に次の様な一段があります。(第九十三段)
ある人が大勢の前でこんな話をした。
「牛を売る者がいて買い手と話がつき、明日代金を支払って引き取って貰う約束をした。ところがその夜のうちに牛が死んでしまった。牛を買おうとした者は得をしたが、売ろうとした者は損をした。」
これを聞いて、側にいた人が「牛の持ち主は確かに損をしたが、又大きな利益もある。生命あるものが死の迫っている事を知らないでいるのは、牛もまた人間も同じである。思いがけず牛は死んだが、持ち主は存命だ。人の一日の生命は万金よりも重く、牛の代金などは羽毛より軽い。万金を得て、僅かな金を失った人が、損をしたとは言えない。」と説く。しかしその場の人々は皆嘲り顔で「その道理は何もその牛の持ち主だけに限った事ではない。」と冷やかだ。その人はかまわず「人間が本当に死を憎むなら生をこそ愛すべきだ。今ここに生きている喜びを忘れて、わざわざ苦労して外の楽しみを求める。(中略)生命ある間、生を楽しまないでいて、いざ死に臨んで急に死を恐れるというのではこれ程矛盾した道理はない。人が皆生を楽しまないのは、死を恐れないからである。死が迫っていることを忘れているのだ。」と正しい理りを説くが人々は理解しない。「いよいよ嘲る。」としてこの段は終わっています。目先の欲に囚われて、大切な生命の価値を顧みようとしない庶民に対する、兼好の批判精神が感じられる文章です。
 では、私達自身の生き方はどうでしょうか。日々の生活の中で生命の重みをどの程度感じているでしょうか。
 私自身、この人々を笑う事ができるでしょうか。冒頭の牛のように、今日の生命が明日保証されるとは限らない身でありますのに-
 アジアアイウェーとは名ばかりで、穴ぼこだらけの道を、猛スピードで走る乗用車・トラック・オートバイ。そして自転車の群れ。それをかいくぐって急いで道路を横断する人々に、突然飛び出す牛や豚や鶏たち。砂埃の舞う道を、私達が乗った四輪駆動車も疾走していました。
 今年の1月、SVA=曹洞宗国際ボランティア会の主催する「僧侶のためのスタディツアー」に参加し、カンボジアの視察に訪れた時の事です。狭い道をギリギリで交差する恐怖感にも慣れ、旅の疲れでうとうとしていた所、突然急ブレーキを掛けて車が止まりました。目の前で事故があったようです。慌てて車を降りて見ると、一台のスクーターと共に、年配の男女が倒れています。男の方は気を失っているのか、即死なのかピクリともしません。老女は頭や顔から血を流していますが、やがて起き上り意識はあります。相手の車は逃げてしまったようです。何かをしてあげたい、と思うのですが、言葉も通じず、手をふれることもできません。集まった人々の一人が「警察に無線で通じたから、もう行った方が良い。トラブルに巻き込まれるかも知れないから。」と言っているとの事で、私達は止むなく車に戻りました。しかし、被害者の事が気になって仕方がありません。「この附近には病院らしい建物は一軒もなかった。首都プノンペンを除いてこの国には救急車も殆ど無いそうだ。警察もあまり当てにならないというし、あの二人はどうなるのだろう。せめて持っていたミネラルウォーターを置いてくる位どうしてできなかったのだろう。」重い気分でしばらく誰も口を開こうとはしません。私達の日常のすぐ側に近寄る不吉な死の黒い影を、異国で見てしまったような気分でした。

長く内戦が続いたカンボジアでは、未だに貧困や病気などの沢山の問題を抱えています。一千万発の地雷が埋められたままと言われ、夥しい人が誤ってそれを踏み、手足を失い、生命を落としています。街を歩くと、その被害者と思われる人達が物乞いをしているのです。保健・衛生面での立ち後れは顕著で、1991年のユニセフの統計によると、5才未満児の死亡率は1000人中、188人で(日本人は6人)5人に1人は五才にならないうちに亡くなってしまう状況です。
私は、この国で生命の重さについて考えさせられました。「生命に値段はつけられないが、貧しさの故に、救われない命がある。この国の人々と、私の生命の価値に差は無い筈なのに・・・」「私は日本という安全な社会にいて他の国の現状に目をむけて来なかったのでは無いだろうか。生命の尊厳に目覚めるということは、自己を大切にするように、他の生命を尊重することだ。そう説いていた自分であるが、口先だけの説法であったのでは無いだろうか」
怪我人に対して何の手当を施すこともできなかった自分に一層苛立ちを覚えました。

無常観を感じることは、仏教の基本的な視座です。曹洞宗の御開山であり永平寺を開かれた道元禅師は
「しばらく心を無常にかけて、よのはかなく、人のいのちのあやうきことを、わすれざるべし」(『正法眼蔵』道心)とお示しです。「仏道を求めるには、まず道を求める心を起こす事が大事であり、その為には無常を感じる事が大切である。」と重ねて禅師はお示しになっています。けれども無常を肌で感じている人は少ないようです。私達をとりまく死を凝視め続けることによって、与えられた生を輝かせる生き方を歩んでいきたいものです。
 新潟県のお寺を布教巡回している時にこんな話を伺いました。「あるお寺の住職が病気になって入院した。一人暮らしの為、お檀家の方々が交代で留守番をし、本尊様を守っていた。住職がとうとう危篤に陥ったという知らせが伝わると夕刻から村の人々が続々集まって来て、本堂に灯明を照らし、皆で一晩中お経を読んで回復の奇跡を祈った。」という話。この住職さんがどんな方かは判りませんが、きっと菩薩道に徹した素晴らしい方だったのでしょう。「一人の僧侶としてこういう最後を迎えられたら。」と、素直に感動しました。

カンボジアの国でも、人々共に歩み続ける素晴しい生き方をしている方々に出会う事ができました。その現実は厳しいですが、未来はきっと開けます。たとえ牛のようにノロノロした歩みであっても・・・
 私も何かをせずにはいられない気持ちです。この心を忘れないようにしたいと存じます。全ての生命を大切にみつ凝視め続ける事によって。
1997年