善き人々に出逢う旅 令和8年1月

別れの前に杯を

 吹き荒れる風が、今年は強く激しい。十二月十四日夜、吹き出した強風は、電柱を倒し、あちこちの電線や電話線を切り、長時間えりも町各地の停電を招いた。寒さをしのぐために早く布団にはいったが、「ゴーゴー」という、風の音に眠られない。漆黒の闇の中で、うつらうつら。夢うつつの中で、今年出逢った人、別れた人をなぜか、想いだしていた。

 

 十二月初旬。東京都のお寺の住職の通夜に出掛けた。十一月に遷化されたという訃報の知らせが届いたのは、一日のこと。四日の大夜、五日本葬儀の案内である。寝耳に水で驚き、予定も入っていたが、迷った末「焼香だけでも」と、大夜の法要に参列した。
 たまたま同じ年の法友。物知りで型破りな和尚。大酒飲みで、生涯独身。『蛇足』という寺報をかかさず発行していたが、世間の常識に捉われないものの見方を、舌鋒するどく書いていた。皮肉屋さんの面も有していたが、憎めない人柄だった。
 「しばらく寺報が届かないな」と、思っていたのだが、この春から体調を壊し入院し、認知症も発症していたようだ。それにしても早すぎると思ったら、自らの「遺偈」にも書いていた・
〈蛇足舌上説香華 六道分身住佛家
 古木龍爪慈父訓 鳥兎匆匆作生涯〉

〈「蛇足」誌上(舌の上)で仏法(香華)を説いてきた。六道という輪廻の中で、佛の家に住する幸いを得た。「古木龍爪」が、慈悲を持って導いてくれた師父の訓(教え)である。
烏兎怱怱」(うとそうそう=烏は太陽、兎は月を意味する。これらが慌しく行き来するように)歳月が瞬く間に過ぎ去るような生涯であった。〉~勝手な解釈である~
古木龍吟(こぼくりょうぎん)」=枯れ木のように見えていたものが強い風を受けて龍のように勢いを取り戻す=衰えたものが復活したり、苦境から脱するたとえ)と、拙僧なら書くところだが~
古木龍爪」(こぼくりゅうそう)は、枯れ木のごとく生きているようだが、密かに龍の爪(飛躍、生命力)を研げよ)という示訓だと思うが、浅学にして出典は、知らない。
~どなたか、ご教示お願いします~

 

 禅僧は、毎年正月に覚悟を込めて自らの境涯を「遺偈」にしたためる。彼の人生を見事に表現した立派な作であると思う。
 六十歳半ばの秋、伺うと突然「これからお見合いだ、付き合え」と連れて行かれた。
その数年後、施食会の法話に呼んで頂いた。
七月の猛暑の中、調子に乗って一時間半も話してしまった。扇風機だけの本堂で、半分熱中症のようになりながら。聴衆も微動だにせず聴聞下さった、その長い長い原稿を、テープ起こしをして全文『蛇足』誌に載せてくれた。そんなことを想い出しながら、その夜、ホテル近くの中華料理店で、一杯の紹興酒を献じて飲み干したのだ。
窮月の宙極まりて化を遷し  俊也

 

 東京から戻ってすぐ、お檀家のMさんの葬儀をつとめた。学校を卒業して十年余り東京で働いた方。長男が生まれた年に故郷に帰り、昆布漁師になって五十年。九州生まれの夫人と共に漁業に励み、四人の子を育て上げた。
しばらく前から認知症になり、自宅で奥さんが献身的に世話を続けられていた。一晩病院に入院したが、あれよという間に、亡くなった。あっけない、しかし潔い最期だと感じた。葬儀の弔辞で、十二人の孫が、それぞれ想い出を述べてくれた。「厳しい時もあったけど、優しかったお祖父ちゃん」心からの感謝の気持ちに溢れていて、参列者の涙を誘う。
その夜、妻と二人のささやかな夕食で、様子を伝えながら、ワイングラスを傾けた。
別るるや夢一瞬の冬の星  俊也

 

 人生において、逢うものは、必ず別れる定めを持っている。美味しいお酒を共に飲めるのも、生きているからこそだ。別離の前に乾杯を!井伏鱒二の『勧酒』の詩を思い出す。

〈コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ 〉
         (『厄除け詩集』田畑書店)

 新年も宜しくお願い申し上げます。  合掌    (続く)

停電の夜、ローソクを灯して観音様に祈る